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歯科医になるきっかけとなった幼少~高校時代

当院の院長をわかっていただくために、こちらをお読みください。

素直で、ものづくりが得意な小学校時代歯科医になるきっかけ
幼い頃の私はとてもやんちゃで、保育園ではいつも喧嘩ばかりしていました。これでも、結構強かったです(笑) ところが、小学校に入った途端、家では急に大人しくなりました。きっと、一緒に遊んでくれる子が周りにいなかったからでしょうね。

母から「学校から帰ったら、ちゃんと予習・復習するのよ」と言われると、きちんと守るような素直で真面目な性格でした。どちらかというと秀才タイプというよりは、真面目にコツコツと努力するタイプだったのかと思います。

当時、実家は雑貨屋を営んでいましたので、誰も私の相手をしてくれませんでした。そのため、時間が余ると、金槌や鋸を使って大好きな工作を楽しんでいました。鳩小屋も一人で作ったぐらいです。
勉強や工作と言うと、インドア派に思えるかもしれませんが、大自然の中で遊ぶのも好きでした。週末になると母の実家に行き、竹やぶで遊んだり、川で魚を捕まえたりして、思いっきり大自然の中で遊んでいました。一人でコツコツとやる、そんな少年時代でした。

歯科医を志すきっかけとなった中学校時代の恩師の言葉
歯医者を志すきっかけを与えてくれたのは、中学時代の恩師でした。中学2年生の頃の私は、英語と数学、技術が得意で、クラスの中でも成績が良く、生徒会の役員もやらせてもらいました。もちろん私一人の力だけではありません。担任の先生が私を引っ張ってくれたお陰だと思っています。

その先生からある日、私はこう言われました。
「矢代君は頭が良くて手先も器用だから、歯医者に向いていると思うよ。」
私は、すっかりその気になってしまって。本気で歯医者を目指そうと決意して、その思いを卒業記念テープに吹き込みました。

クラスメート全員で将来の夢を録音したテープで、メッセージの内容を今でも覚えています。
「歯医者になるから、みんな来てね。安くするよ~」
あれから随分年月が経ちましたが、当時の先生は、今でも患者さんとして、来てくれます。私にとってはかけがえのない恩人です。

矢代商店2代目の父から教わったこと歯科医
父は、本庄駅前で矢代商店を営んでいました。戦前・戦後の激動期の中、祖父が苦労して築いた店です。父は2代目でしたので苦労を知らず。でも、私にとってはとても優しい父でしたので大好きでした。

父は私を信用してくれていたのか、「あれをやりなさい、これをやりなさい」と言わず、好きなことを自由にやらせてくれました。「歯医者になる」と伝えたときも、あまり驚きもせずに「なりたければなればいい」と応援してくれました。

そんな父でしたが、根っからの商売人で、いつも商売哲学を語っていました。父から学んだことは多々ありますが、その中でも心に残っている言葉が、「物を売って感謝されることは難しい。でも、売って、ありがとうございます、と言われるようになるには、お客さんが期待した以上の良いサービスを提供すること」です。これは、商売に限らず歯科医療にも通じることだと思いました。

私は、患者さんとしっかり向き合う治療を大切にしていますが、こうした診療スタイルを築けたのも、父の教えのおかげだといえます。

歯学部を目指して化学部に入部した高校時代歯医者になる
高校に入学した私は、既に歯医者になると決めていましたので、歯学部に進学するにはどうしたらよいのかをずっと考えていました。部活を決める時も、理系だったら受験にも有利になるかもしれないと思い、化学部を選んだくらいです。部活では原子や分子などの様々な物質の構造や性質を学んだり、計算式を覚えたりしました。

受験では、当時の入試科目が、英語・数学・理科2科目選択と全部で4教科。その内、理科は化学と物理を選択したので、部活での勉強が役に立ったのかもしれません(笑) 無事合格できたのは、一人でコツコツと努力していましたが、顧問の先生が上手に私を指導してくれたお陰もあったと思います

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